今さらだけど『海獣の子供』を観てきました!!
ずっと気になっていた話題の映画『海獣の子供』を今さらながら観に行ってきました!
ということで、今回は原作未読、事前知識ほぼ0の状態で観た『海獣の子供』の感想を書いていこうと思います。
👆『海獣の子供』についてはコチラの記事に引っ越ししています!
『海獣の子供』とは?
まずは作品情報から。
映画作成:STUDIO4℃
監督:渡辺歩
音楽:久石譲
主題歌:米津玄師『海の幽霊』
あらすじ
光を放ちながら、地球の隅々から集う海の生物たち。巨大なザトウクジラは“ソング”を奏でながら海底へと消えていく。<本番>に向けて、海のすべてが移動を始めた―――。自分の気持ちを言葉にするのが苦手な中学生の琉花は、夏休み初日に部活でチームメイトと問題を起こしてしまう。母親と距離を置いていた彼女は、長い夏の間、学校でも家でも自らの居場所を失うことに。そんな琉花が、父が働いている水族館へと足を運び、両親との思い出の詰まった大水槽に佇んでいた時、目の前で魚たちと一緒に泳ぐ不思議な少年“海”とその兄“空”と出会う。琉花の父は言った――「彼等は、ジュゴンに育てられたんだ。」明るく純真無垢な“海”と何もかも見透かしたような怖さを秘めた“空”。琉花は彼らに導かれるように、それまで見たことのなかった不思議な世界に触れていく。三人の出会いをきっかけに、地球上では様々な現象が起こり始める。夜空から光り輝く流星が海へと堕ちた後、海のすべての生き物たちが日本へ移動を始めた。そして、巨大なザトウクジラまでもが現れ、“ソング”とともに海の生き物たちに「祭りの<本番>が近い」ことを伝え始める。“海と空”が超常現象と関係していると知り、彼等を利用しようとする者。そんな二人を守る海洋学者のジムやアングラード。それぞれの思惑が交錯する人間たちは、生命の謎を解き明かすことができるのか。“海と空”はどこから来たのか、<本番>とは何か。これは、琉花が触れた生命(いのち)の物語。
映画『海獣の子供』の感想
最初にざっくりまとめます。
米津玄師さんの主題歌がすごく素敵だったのと、アニメが好きということ、そして、公開したときから"なんとなく気になっていた"ので、公開から3週間目にしてようやっと観に行きました。
原作未読、事前知識も『主人公の女の子がジュゴンに育てられた少年2人と出会う物語』程度です。
見終えたときに率直な感想は
「なんかすごかった。。」
ですね!笑
観に行く前にレビューを見ると、「★5」に近いか「★1」に近いか真っ二つに割れている印象なのが『海獣の子供』でした。
そして実際に観て、納得。
間違いなく人を選ぶ作品ですね、これは。
少なくとも僕は「★5」側の感想を抱きました。
多くの方が書いているように、「一度で"理解する"こと」はほぼ不可能ではないかと思います。
表現の仕方といい見せ方といい、かなり難解…。
ですが、"感じる"ことはできたと思っています。
「なんとなく"感じた"」という表現が一番適当ですね。
軽々しく「なんとなく"わかった"」なんて言えない。
そう思ってしまうほど、とても深い作品でした。
そして、このブログは鑑賞から3日経った状態で書いているのですが、日が経つにつれてその深み・重みが心に沁みてくる感覚です。
見終えてすぐに「凄かったなぁぁ」と感じること作品や、そこから色々と考えてしまうことはあるのですが、この『海獣の子供』についてはそれがあまりありませんでした。
観終わったときは、「ポカーン」とまではいきませんでしたが「ほゎゎ。。」ってかんじ。笑
ですが、映画を観た重み・内容の濃さからくる実感が、時間が経つにつれて押し寄せてきているという感覚です。
こんな感覚は初めてなので、これだけでも十分観た価値があったと思いました。
ということで、ここまでは割と感覚的に書いてしまったので、ここから個人的な考察も織り交ぜながら感想を詳しく書いていきますね!
ちなみに、ネタバレっぽいことも入るので気にする方は読まないでください!
感想と考察
前半は話についていけたけれど、後半は一気に話が進んで本当に哲学でした。笑
けれどなんども書くように、”感じる”ことはできたと思います。
(この先”感じる”という言葉を個人的にはキーワードにしていきます!)
テーマは「大切なことは言葉にできない」。
そして、この大きなテーマの中でさらに表現したいこと、いわゆる小テーマみたいなものは、大きく分けて2つあるように感じました。
1つ目は、「人と宇宙は似ている」ということ。
「人も宇宙も、"わかっていうようで実際は何もわかっていないもの"という点で共通していて、けれどだからこそ、両者ともに無限の可能性を秘めている」と言いたいのではないでしょうか。
特に、宇宙と比較することで「人間の無限の可能性」を伝えたかったように感じました。
また、「"全体の中の個"でありながら、"個として明確に存在している"」みたいな矛盾というか、「"表裏一体の二面性"みたいなことを持ち合わせている」ということも言いたいのではないかと感じました。
口コミには「"個"としての存在を否定している」と指摘しているものもあったのですが、僕は否定まではしてないと思いますね。
2つ目は、「生命の誕生」です。
特に後半の『まつり』はここにフィーチャーしていたと思います。
「命の尊さ・大切さ」と言い換えても良いかもしれないですね。
ただ、『まつり』のくだりはとにかく哲学だった。。
「海のある星は子宮、隕石は精子」という表現はわかったけれど、隕石を持つ琉花と海に育てられた海の性別が反対なのがいまいちわからない。
1つ目の「人と海は似ている」という表現から考えるに、海と隕石の衝突が小惑星の誕生、そして生命の誕生を表現していることは何となくわかる。
けれど、『まつり』において、海と空、そして琉花がどういう役割を果たしたのか、海と空が、何を琉花に託したのかがわかりませんでした。。
「言いたいことはわかったし、すごく”感じる”ことはできた。けれど、”感じる”までのプロセスの表現が凄まじすぎてついていけない」ということになるでしょうか。笑
まあ、「大切なことは言葉にできない」がテーマですから、「”感じる”ことはできた」というのがむしろ正しい感想なんじゃないかとも思ってしまいますね…!
そして、これらのテーマを、作者の方が言いたい・表現したいということは伝わってきたのですが、『まつり』の難解さも含め、1つの作品に詰め込みすぎていたとも感じました。
大きなテーマとして、「大切なことは言葉にできない」を据えているのはよいと思いますが、その中に「人と宇宙は似ていること」と「生命の誕生」についてが同居している。
どちらも内容が深いし、表現の仕方も抽象的かつ哲学的で理解が難しい。。
というか、“感じる”だけで一杯一杯なので、それぞれを別の作品に分けてもよかったんじゃないかな…と思ってしまう。
しかもこの2つに加えて、途中に出てくる「風と海が運ぶ情報や記憶」とか「人はなぜ生き、これからどこへ向かうのか」ということも、作品通して表現したいことのように感じましたから。。
うん、言いたいことはよくわかるのだけど、、詰め込みすぎかなぁ。。
ここで少し視点を変えますね。
「まったくもって意味がわからない」とおっしゃっている方々については、申し訳ないが映画が悪いのではなく、その人の感受性や考える力、今まで見てきた作品の数と質が、この『海獣の子供』という作品を”感じる”ためのレベルに至っていないのではないかと考えます。
確かに、何の前置きもなく登場したアングラード(ロン毛の助手さん)やデデ(謎の老婆)の言い回しや表現の仕方は非常にまわりくどく、難解ではありました。
しかし、場面場面に”感じられる”ように描写があったり音の演出があったりしたと、僕は思います。
(はじめの「ヒトダマ」や、光る「海の幽霊」が何を意味しているのか、あとはキャラの行動(『まつり』の後のアングラードの『Happy Birthday to You』のオルゴール)とか。)
(個人的には、「ヒトダマ」はそのまま「人の魂」で、「人が亡くなった」ということを表現している。「海の幽霊」は、風や海が内包する"記憶"だったり、そこから何かを伝えんとする塊のようなものだと思っています。)
もちろん、これらのことから「観る人を選ぶ」というのは間違いありません。
ただ、この『海獣の子供』という作品はもとよりそういう作品にしようというコンセプトだと感じられます。
大衆向けの青春ものとか、明確な"答え"を示す王道アニメとかではなく、ある程度の道筋を示し、その先は観て聴いた人それぞれの解釈に委ねる、それぞれの感じ方に任せる、というスタンスだと。
そういう意味では絵画に似ているかもしれませんね。特にピカソとかダリの作品。
本人は表現したいことを本人の世界観で表現する。あとは鑑賞する側がどう捉えるか、ということなんじゃないかな。
僕は、ピカソやダリの絵をみても「なんか、すげ~、んだろーな。。」ぐらいにしか感じられませんが(笑)、みる人が観ればもっと色々な感想を抱くのだと思います。
それと同じようなものだと思いますので、作品が悪いのではなく、「意味不明」などとおっしゃっている方の受け取り方、感じ方がこの作品とは合わなかった。強く言ってしまうと、『海獣の子供』が表現する"舞台"に上がっていなかった、と僕は感じます。
ただ、エンディング後の描写(30分アニメならCパートと呼ばれる部分)に関しては、観る側に振りすぎだと思いました。
ぶっちゃけ、エンディング前で終わってもよかったと僕は思ってしまう。
そっちの方がむしろ、哲学的な作品ならではの余韻と言いますか、「"その後"はみなさんそれぞれのご想像でどうぞ」みたいな終わらせ方の方が、ここまでの『海獣の子供』という作品の描き方には合っていたように感じますね。
特に最後の最後、海の「ここにも空がいて、海がいる」というセリフ。
描写からの判断から、琉花が"海"、冒頭でイザコザがあったハンドボール少女の同級生を"空"に見立てているというのはわかりましたが、本当に何を言いたかったのかわからない終わり方でした。。
もちろん、僕が作品と同じ"舞台"に立っていないだけかもしれませんが、他にも、最後の最後でまわりくどい表現、"無駄に"難しい言い回しを使っていると感じてしまうシーンがあって、まとめ方に若干の無理矢理感は感じてしまいました。
ともあれ、作品全体としてみればとても”深い”ものでした。
はじめはあまり好きではなかった絵も観終わる頃には全然違和感がなかったし、声優さんを使わないことで出る素朴な雰囲気やより感じられる日常感も、僕は好きでしたね!
特に、主人公琉花の声を担当していた芦田愛菜さんの演技はとても素晴らしいものでした。
「ドーン!」とくる衝撃はないですが、じんわりと心に沁みてくる。そんな作品だと思います。
そして、衝撃を与えてくるのではなく沁みてくる分、その感じ方により個人差が出てくるとも言えるかもしれませんね。
まとめ
改めて、『海獣の子供』という作品の感想を一言でまとめると、「文字のはできないけどとにかく凄いものを観た気がする。」になりますね!
(もちろん、一言でまとめられるなんてことはないんですけどね!笑)
そして最初に書いたように、日に日に映画で受けた様々なものが押し寄せ、沁みていくようでもあります。
まさに、「映画」という芸術作品を観た感覚です。だからこそ、「観たい」「気になる」という方はぜひ劇場に足を運んで観ていただきたい!
Blu-rayやDVDを入れて家のテレビで観るだけでは、間違いなく『海獣の子供』という作品の良さを感じることはできません。
映画館のスクリーンに映し出される映像と音環境だからこそ惹き込まれ、何かを”感じる”ことができるのです!
もう間もなく上映が終了してしまう作品だと思いますので、気になる方はお早めに行ってくださいね!!
きっと、あなただから”感じる”ことができるものがあるはずですよ。
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